クララ先生「倉持雅樹」の経歴はこちら!事故の理由・成績についてもまとめて紹介

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倉持雅樹経歴 男性ゴルフYouTuber

YouTubeゴルフチャンネルの中でも人気が高い「シンゴルフ」

このシンゴルフにゲストとして招かれ、そこからレギュラーとして出演されていたのが「倉持雅樹さん」でした。

倉持雅樹さんは「クララ先生」という愛称で親しまれ、2024年7月末をもってシンゴルフを卒業。

シンゴルフを観ていて、私が倉持雅樹さんに対して勝手に抱いた印象は、発する言葉に力があり、言葉に迷いがなく堂々とした立ち振る舞いをされて貫禄がある。

このような印象を持ちましたね。

予想外

ですが、このクララ先生こと倉持雅樹さんって、「ゴルフレッスンプロなの?」「普段は何をやっている人なの?」などと、疑問に感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

・クララ先生『倉持雅樹』の経歴。
・クララ先生『倉持雅樹』の事故の理由。
・クララ先生『倉持雅樹』の成績。

これらについて、私が調べて分かった範囲でお伝えさせて頂きます。

是非最後まで読んで頂けると嬉しいです!

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この記事を書いた人
kimita

・ベストスコア:68
・経歴:大学卒業後、一般企業に2年勤務。

その後、縁があって約7年間ゴルフレッスンに携わり、結婚を機にゴルフレッスンを辞める。

2児の母で子育てが落ち着いた今、再びゴルフレッスンに復帰。
日々ゴルフレッスンに携わりながら、ゴルフ上達に関する情報を独自に視点で発信しています。

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クララ先生『倉持雅樹』の経歴は「15歳」でゴルフ留学!

倉持雅樹さんの経歴について調査した所、あるネットの情報に、倉持雅樹さんの特集記事が掲載されているのを発見しました。

その情報によると、倉持雅樹さんは中学卒業前に、ゴルフで有名な高校へ見学に行ったそうです。

校舎

そして当時の片山晋呉、宮本勝昌、横田真一といった、メンバーが練習する姿を見て「このまま高校に入っても、彼らとの差は埋められない」

そこで倉持雅樹さんは、ある大胆な行動を起こします。

何と倉持雅樹さんは、片山晋呉、宮本勝昌、横田真一などといった人と、力の差を埋める為、単身オーストラリアへと渡り、ゴルフ留学をしてしまいました!

しかし15歳という若者が、単身でオーストラリアへ渡るとは、相当な精神力の高さがないと無理です。

海ゴルファー

なぜなら、世の中大人でも一人暮らしの寂しさから、ホームシックになる人も普通にいます。

そんな中で、当時15歳の倉持雅樹さんが、言葉も通じない外国へ単身で渡ったのは、「絶対にプロゴルファーのなるんだ」という、意志の強さが高くなければ出来ない行動。

今思い返すと、私が15歳の頃は「絶対に親元から離れたくない」と思って生活していました。

倉持雅樹さんが片山晋呉、宮本勝昌、横田真一などといった、有名なプロと同年代という事は、1973年前後生まれであると推測されます。

期間

そこから考えると、倉持雅樹さんが単身オーストラリアへ渡った15歳当時は、恐らく1990年代前半ではないでしょうか。

そこで私が一つ疑問に思ったのは、倉持雅樹さんが15歳の頃、1990年代前半当時は、今のようにインタネットが普及されていませんでした。

そんな情報量が少ない時代に、倉持雅樹さんはどうやって、オーストラリアで住む所を見つけたのか。

データ分析

倉持雅樹さんは知り合いの縁や、市町村の留学案内などといった相談窓口を通して、オーストラリアに単身渡ったのかもしれません。

更にはもう一点気になった事は、オーストラリアで日々生活をしていく中、間違いなく莫大な費用がかかるはずですよね。

一体倉持雅樹さんは、オーストラリアで生活する為の資金を、どうやって捻出していたのでしょうか。

ドル箱

一般のサラリーマン家庭では、海外へ留学させる資金を用意出来るとは考えられません。

私が思うに、倉持雅樹さんの実家が事業などをされていて、裕福な家庭に育ったと思われます。

ですが、倉持雅樹さんの実家については、正確な情報は分かりません。

あくまでも私の憶測なのでご理解下さい。

クララ先生『倉持雅樹』の師匠はノーマン・フォン・ニダ

コーチ

倉持雅樹さんは単身オーストラリアへ渡り、約2ヶ月経過した頃。

毎日練習場でボールを打っていた後ろで見ていた「ノーマン・フォン・ニダ」さんという、70代後半の男性から『ゴルフを教えようか』と声をかけられます。

実はこのノーマン・フォン・ニダさんという人物は、過去に世界ランキング1位に輝いた実績を持つ、ゴルフ界でも有名な「グレッグ・ノーマン」の師匠である事が判明。

提案してくれる女性

何とグレッグ・ノーマンの「ノーマン」という苗字は、ノーマン・フォン・ニダさんから授かった苗字だという事も分かりました。

偶然の出会いといえ、何とも凄いエピソードですよね。

倉持雅樹さんは、このノーマン・フォン・ニダさんから、「人に習っただけでは自分のものにならない」。

「技術や理論は自分で作り上げていくもの」という教えが根底にあったそうです。

ゴルフ男性トップ

更に倉持雅樹さんは、ノーマン・フォン・ニダさんに、「スウィングは自分の体じゃないから知らない、お前の体だから自分で見つけろ」と言われました。

倉持雅樹さんは、ノーマン・フォン・ニダさんから、スイングに関する指導は全くされず、とにかく頭を使う事や、ゴルフに対する考え方を教わっていたそうです。

ゴルフレッスンと言えば、「テークバックはここにクラブを上げなさい」「インパクトはこの形でボールを捕るべきだ」。

そういった形などを連想するのが、一般的なゴルフレッスン。

ゴルフルーティーン

しかし、ノーマン・フォン・ニダさんは倉持雅樹さんに対して、打つ前にどんなショットを打つのか必ず言葉にして打たせるように指導していました。

ゴルフは試合中の緊張した場面でも、冷静にその場の状況判断し、自分の意志でクラブを選択して打っていくスポーツです。

そしてゴルフは試合中、野球やサッカーのように、試合中に適切な指示をくれる監督はいません。

意識が分散

当時15歳の倉持雅樹さんに対し、自分がその状況に対しどうやって攻めていくか。

ノーマン・フォン・ニダさんが、倉持雅樹さん自身に考えさせて、自分自身でスキルを高める訓練をさせていたという事が分かります。

なので、ただ表面的にゴルフスイングを作る事を練習とするのではなく、自分自身で考えながらボールを打っていく。

このような自分で考えさせる力を引き出す、ノーマン・フォン・ニダさんの指導法は大変素晴らしく、指導者として見習わなければと感じました。

クララ先生『倉持雅樹』は交通事故に遭いプロを断念

愕然とする男性

倉持雅樹さんは日本でプロゴルファーになる為に20歳で帰国。

「これから日本でプロゴルファーになって、ツアーで活躍するんだ」

というった矢先、倉持雅樹さんの人生を大きく左右する大事件が起こります。

倉持雅樹さんは交通事故に遭い、この時に両腕と右足に大怪我を負い、この時に左手の神経を切ってしまいました。

救急車

倉持雅樹さんはこの交通事故で、左半身に麻痺が残ってしまい握力は「何と8キロ」くらいになってしまい、プロゴルファーになる事を断念。

倉持雅樹さんは交通事故について、シンゴルフの動画内で語っていました。

10代の頃に単身でオーストラリア渡り、タイガーウッズとも戦って実績も兼ね揃え、「これから日本でプロゴルファーになって活躍するんだ」と思っていたはず。

しかし、ある日突然「交通事故」という災難に巻き込まれ、一瞬でプロゴルファーになる希望を経たれてしまった倉持雅樹さん。

悲しむ女性

倉持雅樹さんは、交通事故に遭った、当時の心境などは語られていませんが、言葉では言い現わせれないほどショックだったでしょう。

そして、倉持雅樹さんの手術は合計9回。

リハビリに費やした年数は、なんと「17年間」も費やしたとおっしゃっていました。

17年もリハビリを続けるくらいですから、倉持雅樹さんが交通事故で負ったケガは、重症だったという事でしょうね。

足の痛み

倉持雅樹さんは、いつもドローやフェードなど、宣言通りのボールを打っており、至って普通に見えます。

とても過去に大きな事故に遭い、過去に壮絶な経験をされているようには見えません。

そんなハンデを持っている中でも、ドライバーショットで300ヤード近く飛ばし、あれだけのパフォーマンスを発揮出来る、倉持雅樹さんは凄い方だと思いました。

クララ先生『倉持雅樹』の成績はタイガーウッズに勝利

ゴルフインパクト

倉持雅樹さんは、単身オーストラリアへゴルフ留学した後、更に高レベルでゴルフを極める為、アメリカでアマチュアの試合に出場していました。

アメリカの試合は年齢別だったそうで、倉持雅樹さんが当時17歳、タイガーウッズが15歳と、タイガーウッズが2歳年下。

タイガーウッズは13歳の頃から、アメリカ全域規模の大会に出場するほど、凄い実力を持っていました。

トラ

その為タイガーウッズは当時、「同世代では無敵の強さ」を誇り、飛び級で倉持雅樹さんと同じカテゴリーで試合に参加。

そしてタイガーウッズとプレーオフを9回も行い、プレーオフの勝敗は、2勝7敗で、倉持雅樹さんはタイガーウッズに見事2勝されたそうです。

倉持雅樹さんは、当時2歳下であるタイガーウッズとの9回のプレーオフで2勝と負け越していますが、のちにスーパースターとなったタイガーウッズに2勝した何て、凄いという言葉しか出ません。

ゴルフボール

そして倉持雅樹さんの試合での成績は、オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ「3か国の」でアマチュア競技優勝回数は、合計27勝。

更にアメリカ代表として、全英ジュニアにも出場した経験を持っている事も分かりました。

倉持雅樹さんのアマチュア時代の競技成績については、シンゴルフ動画内で倉持雅樹さん自身がおっしゃっています。

しかしながら10代の頃に、海外3か国も渡り歩き、競技に出ていた経験を持っているとは、ゴルフで生計を立てているプロゴルファーでも、聞いたことがない凄いレベルの話。

その行動力とゴルフに対する意識の高さが、まだ10代の少年時代に備わっていた倉持雅樹さん。

自分が高校生の頃は、毎日学校が終わったら友達とカラオケに行ったり、ゲーセンに行ったりするのが楽しかった事を思い出しました。

喜びを分かち合う人

倉持雅樹さんがゴルフをやっていた10代の頃と、大学生でゴルフをサークルで始めた私と比較すると、ゴルフに対する意識のレベルに開きがありすぎます。

倉持雅樹さんはアマチュア時代に海外の試合に出場し、世界レベルでゴルフ競技で活躍していた実績を持っている日本人は、恐らく倉持雅樹さんの他にいないのではないと私は思いました。

まとめ

今回はクララ先生の愛称で親しまれている、倉持雅樹さんについて「経歴・事故の理由・成績」など、私が調べて分かった範囲内でお伝えさせて頂きました。

倉持雅樹さんは15歳の頃、単身でオーストラリアへゴルフ留学をした後、試合の経験を積む為、アメリカへ渡る事を決意。

アメリカへ渡った後の試合で、タイガーウッズとプレーオフを9回も行い、2勝された実績を持つ凄い人だという事が分かりました。

トロフィー

倉持雅樹さんは、オーストラリアへゴルフ留学していた頃、「ノーマン・フォン・ニダさん」という男性の方にゴルフを教わります。

ノーマン・フォン・ニダさんからスイングの事ではなく、状況に応じた対応についてや、球筋のコントロールなどを学びました。

そして、自分で考えながらゴルフをするという事の重要性を学び、そういったゴルフ上達の本質について、YouTube動画を通して解説されています。

ゴルフオリンピック

倉持雅樹さんがシンゴルフを突然卒業された為、非常に残念で驚きました。

しかし、これからも倉持雅樹さんが、ゴルフ上達に悩める多くのアマチュアゴルファーの方を、救ってくれる活動をして欲しいと願っています。

そして私は「ゴルフ100切り達成したい」と日々ゴルフに打ち込んでいる方を応援しています。

パターカップイン

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このような悩みを抱えていらっしゃる方は、ゴルフ100切りに対する道筋を作り、その道に沿って取り組む必要があります。

そして私は「ゴルフ100切り達成したい」と日々ゴルフに打ち込んでいる方を応援しています。

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